PUNISUKEのブログ

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スガシカオ(と村上春樹)について

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中学生3年の夏にスガシカオを初めて聴いた時、この人は音楽界の村上春樹だと思った。僕は小さい頃から村上春樹の文章を読んで育った。今考えると当時の僕では到底理解できないような内容ばっかりだったはずなのに、親の会話に入りたいがため少し背伸びをして読み続けた。読み続けると、決まって彼の小説の中に出てくる西洋かぶれの主人公に憧れるようになった。言いたいことを半分くらい飲み込んで、全てを察知したように振る舞う。それが僕の理想の男性像になった(現在は真逆のような人間だけど)。そして初めて聴いたスガシカオの楽曲に出てくる登場人物は、まさに僕が理想としていたそんな男だった。

 

村上春樹スガシカオが相思相愛の関係ということは、ファンの中では有名な話だ。デビュー以前から村上春樹のファンだったスガシカオは、デビューアルバムを村上の事務所に送り付けた。もちろん当時面識はなく、スガシカオの一方的な行動だったが、そのアルバムを村上春樹がたまたま聴いて以来、村上春樹はすっかりスガシカオのファンになってしまった。実際「意味がなければスイングはない」という村上春樹の著書の中でも、唯一日本人で選出されており、「スガシカオには独自の文体がある」と語っている。(ちなみに好きな曲は「ぬれた靴」という楽曲)

 

相思相愛だからかはわからないが、スガシカオの楽曲を聴くと村上春樹を読んだ時と同じような気持ちになる。二人の描く世界の共通点は、登場人物が俯瞰的で、自分に起こっている出来事もまるで他人事のように考えているというところだろう。大抵の物語は完結せずに、後の展開は少しのヒントと共に僕たちに投げられる。そしてその未完結さは、僕たちが作品に触れるうえで飽きさせない重要な要素になっている。実際スガシカオが書く歌詞には「もし~したら」「~そう」など仮定や推定の言葉が多く、断定するのは実際に起きた事実だけ。例えば夏影という楽曲。

「言葉がいま詰まってしまったら、ぼくらの夏はここで終わってしまいそう」

この文の中に決まっていることは何一つない。言葉は詰まらず二人の関係は終わらないかもしれないし、本当に詰まって終わてしまうかもしれない。そしてこの歌はこのまま(考えに耽ったまま)終わる。結局二人はどうなったの?というところは僕たち聴き手の想像に委ねられたまま。一つの文章で受け手が何通りも考えを巡らすことが出来るこの歌は、未完結がゆえの良さを存分に秘めた楽曲だと思う。

 

スガシカオはメロディ―ラインも独特で、ある程度楽曲を聴いた人なら「あ、これはスガシカオの曲だな」とすぐわかる。それは村上春樹の文章とまるで同じだ。そういう「個性」や「固有性」を持っているからこそ、僕は二人の作品に惹かれているんだと思う。その点でこの二人は、僕が‘どんなものが好きなのか’ということに気づかせてくれた。以前書いた銀杏BOYZ然り、これから書こうとするもの然り、今僕が好きなものはジャンルを問わずそういう「個性」に溢れたものになっている。何が好きかわからなくなった時、‘自分はこれが好きなんだ’と気づかせてくれる指標。僕にとっての村上春樹スガシカオはそういう存在だ。

 


(ちなみにおススメのアルバムは「Clover」「SugarlessⅠ・Ⅱ」「FUNKAHOLiC」です。)