PUNISUKEのブログ

好きなものや気になるものについて

宗教(のようなもの)について

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「尊師~尊師~尊師尊師尊師~麻原尊師~」。この歌が日本中に流れていたころ、僕は生まれた。僕の生まれた町は、オウム真理教の施設(サティアンとは別の)がある町の近くで、地元のスーパーには信者がしょっちゅう買い物に来ていたらしい。

 

僕の家はいわゆる無宗教と言われる仏教信者で、宗教とは殆ど無縁だった。小学生の頃テレビで見たオウム真理教の特番で、初めて宗教に触れた僕はとても驚いた。なんでここまで一人の人間を盲信できるのか。そして同時に、高学歴な一般人をテロ行為まで突き進ませてしまう宗教というものに興味を持った。

 

中学生になると、それまでより宗教というものが身近になった。僕の友人の母親がある宗教の信者だったからだ。その友人はクラスでも随一の人格者といった感じで、クラスメイト全員から好かれていた。そいつの家に遊びに行ったとき、見たことのない「仏壇のようなもの」を見つけた。そこには日々の暮らしにおける小さな願い事を書いた短冊が吊るされていた。僕は友人に「これ何?」と尋ねると、友人はそれが彼の母にとってすごく大切なものであることを教えてくれた。

 

僕はそれからそのことについて友人と話したりはしなかった。けれど、友人の家に行ったことのあるクラスメイトがその話をクラスに広め、友人の母は危ない宗教信者だという噂が広まった。あるクラスメイトはその母親が家に勧誘しに来たと言い、別のクラスメイトはその母親が家にお布施用のお金を借りに来たと言った。僕はまさかそんことしないだろうと思っていたが、後々それは事実だということがわかった。その母親は僕の家にも勧誘に来たのである。

 

実はその母親が信じていた宗教は、日本でも有数の勢力で、今となっては全く怪しい宗教ではないと知っている。その宗教の教えでは、自分を救済してくれたこの教えを独り占めすることこそ卑しいとされていて、だからこそその母親も周囲を勧誘していたのだろう。けれど宗教を知らない当時の僕にとって、その母親の行動は少し怖かった。そしてそのことをきっかけに、僕は宗教のことを少しずつ調べ始めた。

 

色々な宗教を調べたが、未だに自分が「これだ!」と思う宗教は見つかっていない。ただし、「宗教的なもの」は世の中に蔓延している。例えば、ブラック企業なんてまさにそれで、社長=教祖、社員=信者と言った感じで、社長が社員を洗脳し、悪質な労働環境を形成している。また、日本における部活も宗教的なところがあって、部長の言うことは絶対で体罰は愛情とかいう訳のわからない理論がまかり通っていることが多い。つまりどれだけ自分は無宗教だと思っていても、気が付かないうちに「宗教らしきもの」に引き込まれている可能性があるのである。

 

事実、僕は今年「宗教らしきもの」に入信しかけていた。僕が入った会社は世間一般でいうブラック企業で、24時間働くことを厭わない者だけが続けられる特殊な仕事だった。そして僕はそんな会社で、「好きなことならいくらでも頑張れるよな?」教へ入信しかけていた。

 

入社して間もない頃、2日間連続勤務のようなものがあった。疲れ果てていた僕が長かった仕事を終えて足早に帰ろうとしていると、一人の上司が僕を呼び止めてこう言った。「楽しく働いてるか?好きな仕事だから残業も耐えられるだろ?」。疲れ切っていた僕は反射的に「はい、楽しいです」と答えた。しかし、家路の途中で「あれ、なんで楽しいって言ったんだろう」と、ふと我に返った。約20時間の連続勤務が楽しい訳がない。そしてその時、上司の思惑に気がついた。上司は、疲れ切って判断力が低下している時に「仕事は楽しいだろう。これは好きな仕事だろう。だったら残業も大丈夫だよな」と言うことで、僕の無意識に「自分は今の仕事が好きで、好きだからこんな残業も耐えられる」と刷り込もうとしていたのだ。それに気づいた僕は、「好きなことならいくらでも頑張れるよな?」教に入信する前に仕事を辞めた。

 

もしあの仕事を続けていたら、僕は間違いなく上司が流布する「宗教みたいなもの」に入信していただろう。というよりむしろ、入信していなければあの仕事は続けられず、続けていく上では必要不可欠な教えだったのだと思う。これはあくまで「宗教見いたいなもの」の話だけれど、本物の宗教にも通ずるところがあると僕は感じている。ある信者にとって教祖の教えは生きていくうえで必須なものであり、それがあるからこそ生きる希望を見いだせるものなのだろう。そう考えると、決して宗教は悪いものではなく、時に必要なものだと思う。僕は今も無宗教だけれど、これから先「宗教のようなもの」に入信している可能性は大いにある。そしていつか気づかないうちに、「これを知らなきゃもったいないよ」なんて言って、それを誰かに教えているのかもしれない。そう考えると中学生の時に出会ったあの友人の母親は、多くの人の未来と≒なのかもしれない。