PUNISUKEのブログ

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マサヒロについて(数少ない僕の友達について)

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高校の入学式。「通学の電車も一緒だと思うのから、これからよろしくね」と知らない保護者に話しかけられた。僕は密かに(過保護な親だな)と思いつつ、「よろしくお願いします」と明るく答えた。そしてマサヒロはその過保護な親の隣に立って、黙ってうなずいていた。

 

マサヒロとは同じクラスだったけど、入学してしばらくはそれほど仲良くなかった。僕は当時弓道部に入っていてマサヒロは帰宅部だったのでそれほど接点もなかったし、マサヒロはクラス1ヤバいやつ(いきなり大声を出したり、政治について語りだしたりする)といつも一緒にいたので、なかなか話しかけることができなった。

 

転機になったのは僕が弓道部を辞めたことだった。入部して3カ月くらい経ったある日、先輩が「1年生の弓を買いに行こう」と言い出した。店に行くとカラフルな弓や矢が置いてあり同級生たちはワイワイ言っていたけれど、僕にはそのどれもがとても高く感じていた。なんで弓を的にめがけて打つだけの為に5万も10万もかけなきゃいけないんだ。一度そう思ったら最後、弓を打つだけの動作を3年間も続けなきゃいけないことがバカバカしく感じてしまい、次の日僕は部活を辞めた。

 

部活を辞めてからは、よくマサヒロと一緒の電車で帰るようになった。話してみるとマサヒロは意外とすかした奴だということに気が付いた。電車では一人ビートルズを聴いていたし、ミスチルのライブ映像を見ては「この時の桜井さんは声が甘い。この時は歌い方を変えているから、少し落ちている」なんてまるで専門家気取りの発言ばっかりしていた。物を食べては絶妙な味の違いに敏感で、視力は裸眼で1.5。自分は人類の中で最も五感が優れていると言わんばかりの振る舞いに、僕はどんどん引き込まれていった。

 

仲良くなると、 マサヒロはよく顔芸でみんなを笑わせてくれた。学校1怖いと評判の先生の授業では、先生にばれないように挑発的な顔をして、みんな笑いをこらえるのに必死だった。マサヒロは絵も上手で、クラスメイトの似顔絵を描くだけでその日一番の笑いを提供してくれた。中でも面白かったのが、テストの返却日。何事もあっさりこなしてしまうマサヒロは、テスト前に限らず家で一切の勉強をしなかった。受験前でさえ30分も勉強したらよい方で、周りの生徒が「え~全然勉強していない」と嘘吹くなか、あいつだけは勉強時間を2時間も盛ってみんなに申告していた。それなのにも関わらずテストになると学年でも上位の成績をたたき出し、1年生の時には東大・京大進学希望者だけが参加できる添削に、先生から頭を下げられ渋々参加していた。

 

そんな天才マサヒロの化けの皮がはがれたのは受験の時。家で一切の勉強をしないマサヒロは、こともあろうに日本で10本の指に入る難関旧帝「九州大学」を前後期受験した。九州大に受かるにはセンター試験で8割程度の得点(720点)が必須と言われていたが、なんとマサヒロはそれより1割以上低い630点で特攻した。そして合格発表の日、マサヒロは人生初めての挫折を味わった。正直勉強していなかったから落ちるのは当たり前だったけど、マサヒロは一丁前に悔しがっていた。なんで勉強していないのに悔しがれるのか・・・あの時感じたモヤモヤは今も心に残っている。

 

大学に落ちたマサヒロは、同じく落ちた僕と一緒に一人暮らしをしながら予備校へ通うことになった。だけどさすがはマサヒロ。朝一緒に予備校へ行こうと誘うと、「今日はちょっと体調が悪いから」と仮病を使ってしょっちゅう断られた。結局その1年間、マサヒロは人並み以下の勉強しかしなかった。マサヒロが熱中していたことと言えば、古本屋でハンターハンターを買い集めるくらいで、ひどい時は「9巻を買いに行く」と言って2巻を2冊買ってきた。だけどそこは腐ってもマサヒロ。次の春には当たり前のように同志社大学に合格し、晴れて大学生となった。

 

大学に入ってからのマサヒロは漫画を描くようになった。その話を聞いた時、ついにマサヒロも熱中できるものが見つかったんだと思って少しほっとした気持ちになった。けれど根本の性格、つまり性根はなかなか変わらない。続けること、一歩踏み出すことが苦手なマサヒロは、結局大学在学中に2本しか作品を完成させることは出来なかった。

 

それでも「漫画」はマサヒロの中の何かを変えた。マサヒロはいつでも出版社へ持ち込みが出来るようにと東京での就職を決めた。そして就職して半年。マサヒロは未だ一本たりとも持ち込むどころか漫画を描いていない。聞けば「気持ちはある。ただ一歩が踏み出せない」とのことだった。ちょうどその頃、僕はこのブログを始めようとしていたので、何かきっかけになればと思い「良かったこのブログに絵を載せてみない?」と聞いた。するとマサヒロは「じゃあブログの文章に合う挿絵を描くよ」とこれまでにない意欲を見せた。それからおよそ2週間が経った今、マサヒロからは一枚の絵も送られてきていない。

 

恐らくこれから先もマサヒロから絵が送られてくることはないと思う。でも、誰に馬鹿と言われようが僕はマサヒロを信じている。天才の本気を信じている。まだ誰も見たことがない、その本気を。