PUNISUKEのブログ

好きなものや気になるものについて

依存について

f:id:PUNISUKE:20181207234540j:plain


浪人生の時、初めてタバコを買った。銘柄はキャスター。今思えばかなり軽いタバコなんだけど、当時はこれでもかってくらいむせて、「もう二度とこんなもの吸わない」と思ったのを覚えている。それから数年、結局僕はタバコを止められなくて、今では立派なニコチン中毒者になっている。

 

何かに依存することって、自分では気づかないことが多い。僕にとってそれはニコチンやカフェインなんだけど、ある人にとってはそれがギャンブルだったり、別のある人にとってはお酒だったりするかもしれない。なんにせよ、人は気づかないうちに必ず何かに依存して生きているはずだ。

 

一番抜け出せないのは人や集団への依存だと思う。タバコや酒やギャンブルは、依存している対象に感情がない。物や娯楽に依存したところで、相手に感情は存在しないので、続けるのもやめるのも全て自分本位で事が済む。けれど人や集団は感情を持っている。例えば自分が依存している集団に違和感を覚えて、その集団を抜けようと考えた時。「僕今日でこの集団抜けまーす」なんて言っても、相手が「あいよ~お疲れした」なんて答えてくれることはまずないだろう。なぜなら自分が依存しているということは、相手も少なからず自分に依存しているから。そして抜けたくても抜けられず、ずるずる不毛な関係(もしかしたらそれ以下の有害な関係)を続けざるを得なくなってしまうかもしれない。

 

僕は中高生の時、友達や彼女に「過度な」依存をしていた。けれど失わない限りそれで構わないし、むしろそっちの方が余計なストレスを感じなくて済むので、精神的には高級な生活ができると思っていた。

 

依存している相手を初めて失ったのは浪人生の時。ずっと付き合っていた彼女が10個も年上のバイトリーダーのことを好きになった。別れたあとの一週間、僕は人生で一番泣いた。大恋愛を見ている時より泣いたし、世界の中心で愛を叫ぶを見た時より泣いた。なんなら実の祖母が死んだ時より泣いた。そうしてひたすら泣いていると、自分がどれだけ彼女に依存していたのかということに気づいた。ただ気づいたからと言って特にどうしようもできなくて、これから人と付き合う時はここまで依存することはやめようとだけ心に決めた。

 

過度な依存を避けるため、僕はそれまでより他人へ連絡をしなくなった。自分から連絡をしなければ必然的に会う回数も制限されるので、精神的には少し自立している気分になれる(自立というか孤立に近いのかもしれないけど)。そうして受け身受け身にまわっていると、次第に相手からの連絡も減っていった。結果、僕のLINEの履歴は企業と本当に仲の良い数人で埋め尽くされ、所属するグループも限られるようになった。つまり、見本のような本末転倒になり、気づけば限られた人に対してこれまで以上に精神的に依存してしまっていたのだ。

 

そんなこんなで僕は人への依存から抜け出すことは無理だと悟った。少なからず誰かに依存して生きていくことは、人生で必要不可欠だと思う。ただ、それならせめてその依存する相手にとって少しでも有益な存在でいたい。自分にとってだけでなく、相手にとってもなくてはならない存在になれば、その共依存は一生壊れることはないんだから。尚にとっての真司や亜紀にとっての朔太郎みたいに。そのために僕はこれからある一つのことを心掛けて生きていこうと思う。

 

 

・・・もう人の悪口は言いません。(できるだけ)